スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戸次川の合戦跡地

6/25(土)

今日何か晴れてるし、明日も休みだし...どこか行きたいなー

城?あらかた大分県内の大きな城は行ったしなー。
しかも、大体遠いんだよ。



うーーん。でも、何か歴史を感じるところに行きたい.....


ん?そういえば、近くに長曽我部信親の墓があったけど行ったことねえな。

...ってことで、思いつきで

長曽我部信親の墓
戸次川の合戦地

に行くことを急遽決めたのでした。



と、その前に
戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)は、豊臣秀吉による九州平定の最中である天正14年12月12日(1587年1月20日)に、島津家久(島津義久の弟)率いる島津勢と長宗我部元親・長宗我部信親父子、仙石秀久、大友義統、十河存保率いる豊臣勢の間で行なわれた戦い。(Wikipedia より)


しかし、戸次の方面にあることはわかるけど、どこらへんにあるかわからん。
一応、カーナビでキーワード検索してみた。
うん、出ません(笑)そーだよね。元親なら出たw



近くのコンビニで地図を立ち読み。
うーん。あった。ここらへんか。よし!行ってみっか!!




意外とすぐわかったのが助かった!

う




車を適当に停め、奥まで歩く
あ


ちょっとした広場になってました。
d

c

鎧塚
長曽我部信親の鎧が埋めてあったと伝えられています。


ds

d

戸次川の合戦の布陣図が載ってます。ふむふむ...


近くだったのに来たことなかったんよねー。
身近な史跡にも今後目を向けて行かねばっ!!
j
rふぇd



戸次川の戦いにおいて、仙石秀久の作戦案に対して父や十河存保と共に反対したが、最終的には秀久に従っている。戦いでは1000人の軍勢を率いて島津家主力に対し善戦したが、仙石勢の敗走をきっかけに全軍が壊乱状態となり、信親や桑名親光、十河存保らは敵中に孤立してしまった。信親らはしばらくは包囲する島津勢を撃退していたが、親光らが戦死し、最後には信親も島津勢の新納忠元隊の鈴木内膳に討ち取られた。享年22。(Wikiより)

不憫すぐる(泣)


え

十河一族の慰霊碑
四国連合軍、長宗我部と共に戦った十河存保をはじめ十河一族の慰霊碑



さてさてお参りも済んで、
次はどこに行こうかなー。



そういえば、戸次川渡った反対側に城があったな
つーことで、車で移動。



かなり迷ったww
行ったり来たりしてようやく発見



鏡城
んbgf

これといった城の遺構らしきものはわからなかった。
何か地面舗装されてるしw



hgf

wqs


石碑が建っていたけど合戦に全く関係のないものでした。
たしか...『征露凱旋記念碑』って書いてあった。
日露戦争から凱旋したときの??



hんbgv

古戦場がはっきり見渡せます。

hんbgv

案内板もあったのでわかりやすい。

んh

この鏡城で四国連合軍(仙石秀久、十河存保、長宗我部元親、長宗我部信親)の各陣営の大将が戸次川の戦いの軍儀を開いたそうなので感慨もひとしお!


大友の不甲斐なさも悔しいけど
仙石秀久が憎らしく思ってくるよ.....



功に焦った秀久は状況を打開すべく、先勝を挙げて士気を高めようとした。無謀にも冬季の渡河作戦を決行し、12月12日早朝、戸次川を挟んで両軍が対峙した。
戦況は、島津戦法の「釣り野伏せ」に誘われ、緒戦は家久が狼狽するほど豊臣勢が押し気味であったが、淡路勢が深追いしたところに主力の新納大膳と右翼の本庄主悦が雪崩れ込んだ。
淡路勢は潰滅し、人数に劣る秀久勢はあっという間に浮き足出たせ遁走する事となった。
勢いに乗る島津勢は、淡路勢に続いていた第2陣の讃岐勢・信親勢を伏兵と共に包囲殲滅した。
長宗我部信親・十河存保は、戸次川の中で戦死したと伝えれている。
長宗我部元親の第3陣は合戦に参加できず、先遣隊の敗報を受けて退却した。
仙石秀久は諸将の軍を差し置いて、小倉城に撤退。その後、讃岐へ逃げ帰るという醜態を晒す事となった



その後、その古戦場へ
っdc

いうy

んhb

戸次川の古戦場跡は、天正14年(1586年)12月12日大友軍・四国連合軍(約6千人)と島津軍(約2万人)の壮絶な戦いがあった。大友・四国連合軍は大敗し、大友氏の滅亡につながった。




今回近場で済ましたけどなかなか楽しめたなw

鶴賀城にも行ってみたかったけど、今度のお楽しみということで!



調べていたらこんなの発見
専想寺:現在も森町にあり、五世唯明は戸次川の合戦で、国の一大事と、僧衣の上によろいを着て戦場に駆けつけるが1586年12月12日、39歳で討ち死にする。専想寺には、今もこの戦いの手柄について感謝状が残っている。



あの森町にある専想寺がそんな寺だったなんてっ!!
前を通る度に『建物がコンクリートでなんの趣のない寺やな』とか思ってごめんw
スポンサーサイト
カウンター
プロフィール

mapple88

Author:mapple88
城巡りと日本史を愛する20代女子。
1年に何度か城巡り目的で一人旅をしています。
神社仏閣巡りをして御朱印を頂いたりもしています。
所在地は大分県大分市。
iPhone3GSを買ってというものapple製品が大好き!
iPhone,Mac,iPad2を所持しています。
主に旅行の日記とメモとして活用したいと思います。
Twitterもやっています。
気軽にフォローどうぞw
@mapple88
am(あむ)

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
Twitter
 
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。